2014年7月23日水曜日

今日のフレンチポップス ★ ゲシュ・パティ: GUESCH PATTI / Let Be Must The Queen (1988年)

ゲシュ・パティのこの作品はレコードでジャケ買いしたものの一枚で思い入れも強いです。フランス盤でした。1988年...今から想うとそろそろ日本のバブルの終焉が近づいていた頃でした。当時の私はそんな日本が世界で一番だとか、嘘っぽい気がしていたものです。なぜでしょう...あまりにも表象的な騒音が活気でもあり、また精神の伴わない荒廃のような。お金や物質的には豊かになれど心は貧相になっているような気が漠然とありました。音楽関係のお仕事をずっとしているのですが、あの頃はただ毎日忙しく信じらない程、月に250時間程の勤務の時も。だからと云って上司の方々のような優雅な毎日でも無く、先輩と後輩の間で右往左往していました。でも、好きなお仕事に携わっている日々を私なりに愉しんでいたとも想います。最も痩せ細っていた時期もこの頃かもしれない。あまり体重が落ちすぎると病院に行く頻度が増えるので今もダイエットはしない、どちらかというと反ダイエット派ですが、それは人其々ですね。




 さて、このジャケットになぜ惹きつけられたのだろう、と振り返ってみると、直観的に、真っ白なチュチュ、真っ赤なトゥ・シューズで身を纏いながらも、邪悪で滑稽なデカダンを感じたからかも。音楽より先に映画の魅力に惹かれていた幼き頃、テレビで観た映画の『赤い靴』の衝撃は子供心に強烈な美と恐怖を感じたものでした。バレエを好きになったのも、すべての根源はあの映像にあるようです。
 
 ゲシュ・パティは特異な存在で、シャンソンという古い伝統を継承しながらも破壊的な革新さを伴う。優美であり、かつ猥雑さをも伴う耽美な世界。退廃もまた美であると思うのですが、私の苦手なグロテスクな嫌悪するものでもなく、そんな微妙な危ういバランス感覚が好きです。
 
 9歳の頃からクラシック・バレエを始めダンサーとして舞台出演していたという。表現者としての歌い手が好きなので、そのようなアーティストはただ歌唱力があるだけではつまらない。ゲシュ・パティがダンサーからシンガーへの道へ本格的に歩み始めるきっかけは、声がでなくなってしまった事によるそうです。治療の末、声が出るようになった折、すっかり元よりも太い声に変っていたのだと。その事実に屈せず、個性へと昇華することの出来る強靭な精神に慄きます。ゲシュ・パティはミック・ジャガーの大ファンでもあるそうですが、ゲシュ・パティを称し、“フランスのニナ・ハーゲン!”と当時なにかの雑誌で書かれていました。この日本盤の解説によると、本国フランスでは“エディット・ピアフとティナ・ターナーの競演!”と評されたりしていたそうです。

彼女はサッフォーより過激であり、フランソワーズ・アルディよりもロマンティックで、ブリジット・フォンテーヌよりも大きな宇宙を感じさせるだろうし、かつてのジャック・ブレルやエディット・ピアフを讃えつつも、フランスの持つ音楽イメージを崩壊させるために生まれた革命児とさえ言えるのではないだろうか。

 このように、山田道成氏も絶賛されております。私の好きなお方ばかりのお名前が登場し嬉しいです。“80年代的な”独特の雰囲気があります。パンク、ニュー・ウェイヴを経ての時代。それらの空気が今でもやはり好きな私には、ゲシュ・パティは麗しきデカダン(デカダンス)を纏ったお方に想えます。
 
 アルバム『LABYRINTHE(愛の迷宮)』の1曲目に収録されている「Let be must the queen」は、ゲシュ・パティによる作詞で、どうやら女装したゲイのダンサーのことのようです。素敵なPVです。この当時のツアー・コンセプトには、ジャック・ブレル、イギー・ポップ、ミハイル・バリニシコフの世界があったというのも納得です。コスチューム・デザインや舞台演出まで手掛ける才女でもあります。




Guesch Patti "Let be must the queen" - Labyrinthe (1988)




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